東アジアの歴史と文化
曹操の人物像
識鑒第七
1
曹公少時見喬玄,玄謂曰:「天下方亂,群雄虎爭,撥而理之,非君乎?然君實亂世之英雄,治世之姦賊。恨吾老矣,不見君富貴,當以子孫相累。」
【注】
續漢書曰:「玄字公祖,梁國睢陽人。少治禮及嚴氏春秋。累遷尚書令。玄嚴明有才略,長於知人。初,魏武帝為諸生,未知名也,玄甚異之。」
魏書曰:「玄見太祖曰:『吾見士多矣,未有若君者!天下將亂,非命世之才不能濟也。能安之者,其在君乎?』」
按世語曰:「玄謂太祖:『君未有名,可交許子將。』太祖乃造子將,子將納焉。」
孫盛雜語曰:「太祖嘗問許子將:『我何如人?』固問,然後子將答曰:『治世之能臣,亂世之姦雄。』太祖大笑。」世説所言謬矣。
【日本語訳】
孫盛の雜語に言う。
太祖(曹操)は、あるとき許子将(許邵)にたずねた。「私は人とくらべてどうか」と。(答えなかったので)強引にたずねたところ、許子将は答えて、「(あなたは)平穏な世にあっては能力のある臣下だが、乱れた世の中では、悪の英雄だ」と言った。太祖は大笑いをした。と。(だから)『世説新語』が伝える話は間違っている。
【語注】
許子将…許劭。後漢末の人。人物評で知られる。毎月ついたちに同郷の人物批評を行った。
何如…いかん。どうであろうか。いかがであろうか。様子や状態を問う。
固…かたく。いかなることがあろうと。
治世…よく治まっている世の中。
能臣…事を立派に処理する臣下。
乱世…騒動が起こる不安な時代。
姦…カン。邪悪な。悪人。
捷悟第十一
2
人餉魏武一杯酪,魏武噉少許,蓋頭上題「合」字以示衆。衆莫能解。次至楊脩,脩便噉,曰:「公教人噉一口也,復何疑!」
3
魏武嘗過曹娥碑下,楊脩從,碑背上見題作「黄絹幼婦,外孫擡臼」八字。魏武謂脩曰:「解不?」答曰:「解。」魏武曰:「卿未可言,待我思之。」行三十里,魏武乃曰:「吾已得。」令脩別記所知。脩曰:「黄絹、色絲也,於字為『絶』。幼婦,少女也,於字為『妙』。外孫,女子也,於字為『好』。擡臼,受辛也,於字為『辭』。所謂『絶妙好辭』也。」魏武亦記之,與脩同,乃歎曰:「我才不及卿,乃覺三十里。」
【注】
會稽典録曰:「孝女曹娥者,上虞人。父盱,能撫節按歌,婆娑樂神。漢安二年,迎伍君神,泝濤而上,為水所淹,不得其尸。娥年十四,號慕思盱,乃投瓜于江,存其父尸曰:『父在此,瓜當沈。』旬有七日,瓜偶沈,遂自投於江而死。縣長度尚悲憐其義,為之改葬,命其弟子邯鄲子禮為之作碑。」
按曹娥碑在會稽中,而魏武、楊修未嘗過江也。
異苑曰:「陳留蔡邕避難過呉,讀碑文,以為詩人之作,無詭妄也。因刻石旁作八字。魏武見而不能了,以問群寮,莫有解者。有婦人浣於汾渚,曰:『第四車解。』既而,禰正平也。衡即以離合義解之。或謂此婦人即娥靈也。」