魯迅校録『唐宋伝奇集』収『隋遺録』について


 

 

魯迅は『唐宋伝奇集』の「序例」と「稗辺小綴」において、唐宋の伝奇の作品を集めるに際しては、「通行の諸本にくらべて、いささかなりとも信頼できるものにしようと考え」、「別の書物に重複してみえるものや、ちがった版本があって互いに校勘できるものは、相互に校勘を行い、字句に異同がある場合は、正しいものに従った。」と校勘の姿勢を述べ、『隋遺録』は「明鈔本の原本『説郛』一百巻の巻七十八」から録出して、「明翻刻の宋本『百川学海』」によって校勘したと述べている。私はこのたびの調査のなかで、魯迅がよったという「明鈔本の原本『説郛』一百巻」本ではなく、明鈔本『説郛』一百巻に据った涵芬楼蔵板によって校勘をしたが、その際に気づいたことを以下に記しておく。

また、前野直彬は魯迅の『唐宋伝奇集』と『古小説鉤沈』について、驚くべき綿密さと正確さをもった非常に周到な作業だが、現在の目から見れば、校訂しなおさなければならぬ部分が少なくないと指((4))しているが、一方では、近年大陸で出版された『唐五代伝奇集』(李格非、呉志達主編、中州古籍出版社、一九九七年)は魯迅校録『唐宋伝奇集』本を底本として『隋遺録』に注釈を施しているように、その扱いに濃淡があるのが現状であることを付記しておく。

 

【巻上】

(一)「留惜」(校勘番号1 以下番号のみを記す)

魯迅校録『唐宋伝奇集』は「留借」とする。『説郛』巻七十八をもとにして『百川学海』で校勘したという魯迅は、『説郛』巻七十八の「留措」をとらず、「留借」としたようだが、ここでは「留措」「留借」ともに意味が通らない。『百川学海』諸本にみえる「留惜」とすべき。宮女が車にとりすがって、心をこめて惜しんだ、という意味であろう。

(二)「飛白」(2,3)

魯迅は「以帛」とする。「以」字は魯迅以外に「以」とする版本はない。伝わる版本(後述の文献リストと校勘表を参照)はすべて「飛」であり、『太平御覧』巻七百四十九引【大業拾遺】も「飛」とする。また「帛」字は、『説郛』巻七十八と、『百川学海』諸本が、いずれも「帛」としていることから、魯迅はこれに従ったようだ。しかし、『説郛』一百十および『香艶叢書』等四種の『大業拾遺記』は「白」としており、前の一字「飛」につづく語としては「白」の方がよい。

「飛白」は墨の色がかすれた書体をいう。唐・張懐の『書断』巻上に、「飛白者、後漢左中カ將蔡所作也。王隱、王並云、飛白變楷製也。本是宮殿題署、勢既徑丈、字宜輕微不滿、名爲飛白。」とある。

(三)「車」(8)

魯迅は「牛車」とするが、伝わる版本はすべて「車」一字のみ。

(四)「香氣」(11)

魯迅は「香」一字とするが、伝わる版本はすべて「香」の下に「氣」の字があり、「香氣」二字とする。

(五)「蒲澤國」(18)

「蒲澤國」の「澤」字を、魯迅は「擇」とするが、伝わる版本はすべて「澤」。地名としても「蒲澤」はあるが「蒲擇」は無い。『漢書』巻二十八下地理志に、「五原郡…県十六。九原、固陵、五原、臨沃、文国、河陰、澤…。」とあり、『旧五代史』巻八十三晋書九少帝紀に、「是月、契丹耶律コ光與趙延壽領全軍入寇、圍恆州、分兵陷鼓城、城、元氏、高邑、昭慶、寧晉、蒲澤、欒城、柏ク等縣。」とある。

(六)「蛟」(19)

魯迅は「蚊」とするが、伝わる版本はすべて「蛟」である。「蚊」であれば、「山を背負うほど巨大な蚊」となり甚だ興趣にとむが、「山を背負うほど巨大な蛟」が原作のすがたであろう。

(七)「妙麗」(20)

魯迅は「妍麗」とするが、伝わる版本はすべて「妙麗」とする。また、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】も「妙麗」である。

(八)「野繭」(22)

魯迅は「繭」一字とするが、伝わる版本はすべて「野繭」二字。ただし、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】は「繭」一字である。

(九)「程姫」(23)

魯迅は「程妃」とするが、伝わる版本はすべて「程姫」とする。また、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】も「程姫」である。「程姫」は漢景帝の妃で、月経を理由に景帝の寝室に入らなかったことが、『史記』巻五十九五宗世家と『漢書』巻五十三景十三王伝にみえる。

(十)「午醉」(28)

魯迅は「午睡」とするが、伝わる版本はすべて「午醉」とする。また、『類説』巻六収【南部烟花記】、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】、『古詩紀』巻一百八小詩、『漢魏六朝一百三家集』小詩、『全唐詩』巻七百七十五失題詩、『漢魏六朝名家集』小窓詩も「午醉」である。ちなみに明代小説の『醒世恒言』第二十四巻隋煬帝エ遊召譴は、「醉」とし、『隋煬帝艶史』第三十八回は「睡」とする。

(十一)「愁魂」(30)

魯迅は「愁雲」とするが、伝わる版本はすべて「愁魂」とする。また、『類説』巻六収【南部烟花記】、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】、『漢魏六朝一百三家集』寄碧玉詩、『漢魏六朝名家集』寄碧玉詩も「愁魂」である。ちなみに『醒世恒言』第二十四巻隋煬帝エ遊召譴も、「魂」とし、『隋煬帝艶史』第三十八回も「魂」とする。

(十二)「爾許」(32)

魯迅は「亦許」とするが、伝わる版本はすべて「爾許」とする。また、『詩話総亀』前集巻十八収【大業拾遺】も「爾許」である。「亦許」では意味が通らない。ここは諸本が伝えるごとく「爾許」がよく、「かくばかり、このような」という意味となる。ちなみに『醒世恒言』第二十四巻隋煬帝エ遊召譴も、「爾許」とし、『隋煬帝艶史』第三十八回も「爾許」とする。

 

【巻下】

(十三)「名」(39、40、41)

魯迅は「二曰…」「三曰…」「四曰…」といずれも「曰」とするが、伝わる版本はすべて「二名…」「三名…」「四名…」とする。この直前に「一名…」とあることからも、「名」の方がよい。

(十四)「令」(42)

魯迅は「命」とするが、伝わる版本はすべて「令」とする。

(十五)「體」(44)

魯迅は「常」とするが、伝わる版本はすべて「體」とする。

(十六)「因附」(45)

魯迅には「因」の字なく「附」一字のみだが、伝わる版本はすべて「因附」二字とする。

(十七)「攻」(46)

魯迅は「生」とするが、伝わる版本はすべて「攻」とする。

(十八)「直」(47)

魯迅は「値」とするが、伝わる版本はすべて「直」とする。『隋書』巻四煬帝紀下に、「義寧二年三月、右屯衛将軍宇文化及、武賁カ将司馬コ戡、元礼、監門閣裴虔通‥等、以驍果作乱、入犯宮」とあり「直閣」とするのがよかろう。ちなみに明代小説の『醒世恒言』第二十四巻隋煬帝エ遊召譴は、「値」とし、『隋煬帝艶史』第三十八回と、『隋唐演義』第二十一節は「直」としている。

 

以上から判断すれば、魯迅は基本的には『説郛』巻七十八の【隋遺録】に拠り、『百川学海』を参考にして校勘をしているが、厳密にそれを守ったとはいえないようだ。もちろん、文献学上適切な校定をしたと考えられるところがあるが(「泊肩」を「拍肩」、「肩」を「肩」と校定。)、いずれの版本にも拠らずに独自の判断で校定したと推測されるところがある。しかもそれらの箇所は、そうすることによって却って文意がそこなわれており、『説郛』や『百川学海』の本文に拠るべきところであったといえる。

 この判断はしかし、『説郛』と『百川学海』の版本の問題を含むので、以下に示すこのたびの調査対象文献資料から判断したもの、という但し書きがつく。また、『唐宋伝奇集』の中の【隋遺録】一篇を調査した範囲内で、という但し書きがつく。

 

 以上を検討する際に参照した文献を以下に挙げておく。

 

『説郛』巻七十八収【隋遺録】(据明鈔本『説郛』一百巻 涵芬楼蔵板  『説郛三種』上海古籍出版社 一九八八年 上海)

『説郛』一百十収【大業拾遺記】(同右)

『百川学海』庚集収【隋遺録】(摸宋咸淳本『百川学海』 中文出版社 一九七九年)

『百川学海』庚集収【隋遺録】(影宋本『百川学海』十集 新興書局 一九六九年 台北)

『百川学海』庚集収【隋遺録】(『百川学海』 海王邨古籍叢刊 中国書店 一九九〇年 北京)

『百川学海』乙集収【隋遺録】(重刊『百川学海』 筑波大学所蔵)

『歴代小史』巻之九収【隋遺録】(明・李輯 江蘇広陵古籍刻印社 一九八九年 揚州)

『香艶叢書』収【大業拾遺記】(民国三年上海中国図書公司和記印行本複製『香艶叢書』 上海書店 一九九一年 上海)

『紅袖添香室叢書』収【大業拾遺記】(民国二十五年上海羣学社排印本)

『宮遺事』収【大業拾遺記】(古書店 一九三六年 上海)

『筆記小説大観五編』収【大業拾遺記】(民国六十三年新興書局景印本 台北)

『類説』巻六収【南部烟花記】(四庫筆記小説叢書 上海古籍出版社 一九九三年 上海)

『太平御覧』巻七百四十九引【大業拾遺】(民国六十四年平平出版社景印本 台南)

『詩話総亀』前集巻十八引【大業拾遺】(人民文学出版社 一九九八年 北京)

『古詩紀』巻一百八収「小詩」「寄碧玉詩」

『全唐詩』巻七百七十五収「失題詩」(

『陳後主集』「小詩」「寄碧玉詩」(『漢魏六朝一百三家集』)

『陳後主集』「小窓詩」「寄碧玉詩」(『漢魏六朝名家集』 宣統三年上海文明書局排印本)

『全唐五代小((5))』巻六七収【南部烟花録】(李時人編校 何満子審定 陝西人民出版社 一九九八年 西安)



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