鴻学の新見解-文史と理論・考証と文献-




(『東方』245号 2001年7月 Book Review 欄 掲載)
久保 卓哉
[書評]周勛初著『周勛初文集』全七巻 江蘇古籍出版社 二〇〇〇年 一五〇元 A五版 三二八六頁
南京大学古典文献研究所所長で南京大学中文系教授である周勛初先生(一九二九年生)の、四十五年にわたる学術研究の中で発表された著作を集大成した、全七巻に及ぶ『文集』が出た。
 著者にはこの『文集』に収められた著作以外に、『唐語林校証』(中華書局、一九八七年)、『唐詩大辞典』(主編、江蘇古籍出版社、一九九〇年)、『唐人軼事彙編』(主編、上海古籍出版社、一九九五年)等の他の追随を許さない著書があることから、唐代文学の権威と目されている。だが、と著者はいう。「人は私を唐代文学の専門家と称するが、そう聞くたび私は心の中でこうつぶやく。自分は底浅く、この領域に長い時間を費やしていないのに、どうしてこのような美名を受けるのか」と。(第七巻、三八頁)
 こう語る著者の言葉が単なる謙辞とは思えないほど、収められた著作の領域は先秦から清、当代にまで及ぶ。全七巻の内容は、次の通りだ。
第一巻 九歌新考 『韓非子』札記 韓非
第二巻 張■『文子伝』輯本 『文心雕龍』解析(十三篇) 中国文学批評小史
第三巻 文史探微 文史知新
第四巻 高適年譜 詩仙李白之謎 唐詩文献綜述
第五巻 唐人筆記小説考索 唐代筆記小説叙録
第六巻 当代学術研究思弁 西学東漸和中国古代文学研究
第七巻 写作一得 序跋評語 集外余墨 追念自序 跋 付録:周勛初学術年表
私は全七巻の内容を要領よく紹介して広く研究者に本書の素晴らしさを伝えたいと思うが、各巻に段煕仲、程毅中、羅宗強、蒋凡、有賢皓、陳允吉、陳書録、汪涌豪等諸氏の簡潔で的確な批評文が収録されているのでそれをご覧いただきたい。ここでは別の角度から本書をとらえて私見を述べることにする。
【現在の学風への苦言】

  本書を読んでいると、著者の力感あふれる批判精神の発露に出くわすことが多い。その対象は現在の学界の風潮にも向けられる。例えば、「論文を書くにはいろいろな方法があるが、ある人は西洋の新理論を用いて古代の文献を証明し裏付けると新説となり、またある人は以前に出版された著作や新聞、雑誌の中から論点を発掘し、”改頭換面”うわべだけを変えて、新しい語気で述べても新説となり、各研究者の説を総合しても新説となり、またある人は前人が提示した文献の外にいくつかの資料を増加させても新説となる。だが私は、いつも新しい論点を出すことを考えて論文を書き、うまく立ち回る態度は取らない。」(第一巻、六頁)とまことに痛烈に現「新説」批判を展開する。また学界には不正常な現象があると指摘して、「それは、古くからある”文人相軽”の旧習で、語句の賞析に長じた人は校証の仕事を見下し、校証に長じた人は語句賞析の仕事を見下す、というようなことを根絶できないでいる。こうした偏った見方をすると自分に限界を作ってしまう。」だから、鑑賞と校証と理論のいずれにも長じた力を備えてこそ、高い水準の研究者といえる(第七巻、二三九頁)と、まことに手厳しい。嘗て極めて高い評価を受けた『九歌新考』『韓非子札記』『高適年譜』『唐人筆記小説考索』『文史探微』等(いずれも本『文集』収)の研究成果は、まさしく新見解と綜合的研究によって埋め尽くされている。全七巻のすべての論文に貫かれた柱は、この二つであるといって過言ではない。
【学問の方法】

 私は二〇〇〇年二月から三月末まで、著者の下に”進修”して謦咳に接し、体が浮き上がるほどその人間的な魅力に引きつけられた。だが期間が短いこともあって、研究の奥義に接することまではできなかった。
 それがである。本『文集』には至る所に研究の要訣が披瀝されているではないか。私は南京で得そこなったものを日本で得ることができた思いがした。
 いわく、古典文学の研究には中国文学批評史の知識が必要、それは正史の文苑伝論や詩話、詞話等の大量の”原始”資料を読んで得られるもので、外来の新理論で代替することはできない。次に、文献学の基礎が必要、そうすれば資料を駆使でき、どこから発掘すればいいか分かり、どの時代背景と学術環境において考証すればよいか分かり、信ずべき結論が導き出される。次に、訓詁の正確さが必要、いかに学術研究が発展しても文献処理の上では、訓詁の運用なくして正確な結論は出ない。とにかく沢山の作品を読むことだ、そうすれば新しい”感悟”が生まれる、この霊感はいかなる理性理論よりもまさる、と。
 更に若き研究者に対するアドバイスとして、「回転式」研究のすすめが述べられている。書物を読んで新しく思いついたことをすぐにメモしておく、後で見て幼稚だな、書く必要は無かったなと思っても、それが基になってあれこれと思い浮かび、関係する材料がたまれば雪だるまを転がすようにふくれ上がり、論文を醸成することができる。この雪だるまを回転させ続ければ、対象が増え、知識が広がり、新開拓の領域ができ、自分の体系を作ることができる、と。(第一巻、八、九頁。第七巻、一〇、二三七~二三九、三五三頁)
 これらは時に私たち自身が気づいたり実行したりしていることかも知れないが、鴻学の大家によって示されると、より学問の方法が鮮明に見えてくる。
【文化大革命】

 文革を語る学者は少なからずいるが、著者が語る語調は群を抜いて強い。
 極左思想の”厚今薄古”(今を重視し古を軽視する)”越是精華、越要批判”(より精華であるためにはより批判が必要)の歪んだ論理が吹き荒れた十年の間に、学風は”仮、大、空”になって学術界は荒漠と化したという。その中で著者は革命的教師学生によって”封建学者俘虜”の諡号(死後の名)をつけられ、本来は「黄金時代であるはずの十年は七転八倒のうちに消滅」したと語る。失意のどん底であった上に退屈でたまらず、毎夜十二時まで読書しては手当たり次第にものを書き、グーグーと腹の鳴る空きっ腹のまま眠りについたという。
 しかし著者はこの期を無駄にせず、列車の車掌室に隠れて杜詩各家注を読破し、錢謙益の注は”以史証詩”、仇兆鰲の注は”富贍博綜”、浦起龍注は”層次明晰”、楊倫注は”簡練精到”とその風格の差をつかみ、高適の新資料を精査して『高適年譜』を書きためる。また、法家の著作『韓非子新注』を編写する任務に当って『韓非子札記』を書きため、文革後に出版したその書を書店で買った曹道衡、沈玉成両氏は「どのようにしてこのような書をものにすることができたのか」と驚嘆したという。
 著者は英人の言葉を引いていう、「人は他人のチャンスの良さを羨み、自分はそれに出会わないと思う。だが実は、どの人の前にも沢山のチャンスがある。要はそれをつかむ能力があるかないかだ。」あればつかみ、なければ逃す、それだけだ、と。(第一巻、一~一三頁。第七巻、二、三、四一、三五〇~三五四頁)
【梁代文論三派述要】

 本『文集』に収められた全論文の中から、今回、一篇だけを選ぶとすれば私は「梁代文論三派述要」を選ぶ。著者の貴家を訪れた際、刊行されたばかりの『魏晋南北朝文学論叢』(江蘇古籍出版社一九九九年十一月)を恵与された私は、宿舎でこの論文を読んでびっくりした。そこには六朝文学の重要なキーワードである新変、新意、新詞、新声等で象徴される文風思潮が、明解精切に分析されていたからだ。
 著者によるとこの論文は、一九六四年『中華文史論叢』第五輯に発表されて以来、一九七〇年代に台湾師範大学楊家駱主編『中国学術類編』(鼎文書局)に収められるまで、海外の研究者の目に触れることは少なかった。その後一九八六年に台湾大学羅聯添編『中国文学史論文精選』(学海出版社)が再収録をして以来読む人が増え、一九九七年著者がワシントン大学に招待されて講演したとき、カンタベリー教授はこの論文を絶賛したという。日本ではどうかというと、私はまだ調査を終えていないが、これまでのところ当論文に言及もしくは引用した事例を見つけることができない。しかしこれを読めば、魏晋南北朝文学を専門とする研究者は、この論文を避けて通れなくなることは明らかだ。また、『文選』『玉台新詠』の文学集が編纂され、『文心雕龍』『詩品』の文学理論書が出、「雕蟲論」(裴子野)、「与湘東王書」(簡文帝蕭綱)、「答湘東王求文集及詩苑英華書」(昭明太子蕭統)、「文学伝論」(蕭子顕)等の文学論が排出したこの時代の文風を、どのように把握すればよいか分からない人は、この論文を読めばよい。
 ここで「梁代文論三派述要」を簡単に紹介しておこう。著者は、声律、対偶、用事を求めて文学的形式美が増え、人々の文学に対する認識が深まった梁代に出現した文学の傾向を、守旧派と趨新派と折衷派の三派に分類する。
 守旧派は、裴子野、劉之リン等を代表として、梁武帝蕭衍に依従し、趨新派は、徐チ、徐陵、ユ肩吾、ユ信を代表として、簡文帝蕭綱に依従し、蕭子顕がこの派を代表する理論家で、”新変”説を提出し、その理念を『玉台新詠』に体現。そして折衷派は、王イン、陸スイ等を代表として、昭明太子蕭統に依従し、劉キョウがこの派の理論家として”通変”説を提唱し、その理念を『文選』に体現したと分析する。
 そして各派を更に分析して、理論の上では、趨新派の簡文帝蕭綱が、自然景物以外に社会人事が人の心を動かすと主張する所は、折衷派の劉キョウが「明詩篇」「物色篇」等で提起する「感物吟志」と一致するが、劉キョウは更に時代風気と政治情勢のうねりが文風形成に関係すると主張した所に両派の違いがあると説く。また創作の上では、趨新派簡文帝は”寓目写心””吟咏情性”を強調して主観の表現を重視し、折衷派劉キョウは思考内容をいかに形象化するかを重視し”積学””博練”の修養が大事だと主張した所に両派の違いがあると説く。
 そして『文選』と『玉台新詠』とを比較した上で、趨新派の長所並びに後世に貢献した点を三つ挙げる。伝統的な戒律(四言)の束縛を受けず、五言詩の価値を称揚して新文体を肯定したこと。呉歌、西曲等の民間文学を重視したこと。そして三つ目は、外形の描写と心理活動に注意して内と外との統一をはかり、色彩感あふれる語彙を使い、耳に心地よい声調を使い、構成を工夫し形式を交えて、より精細に雕琢して文を作り上げることを重視したことで、これは隋唐以後の文人の手本となり、更にまた、当時はすでに瀕死の状態であった律賦の文体を新しく生き返らせ、詩歌の領域では五律の文体の先触れとなって、唐代に近体詩が盛える条件を準備したと分析する。
 この論文は、南京師範大学陳書録教授が評するごとく、豊かな資料の中から精華を取り出して巨視的に応用し、視野が広く、思考が深く、前人未発言のことを発言している。楊家駱が『中国学術類編』を編集する際、著名な学者王瑶の「中古文人生活」を落として、著者のこの論文を劉師培『中国中古文学史』や郭紹虞「再論永明声病説」などとともに収録した事実は重い。しかもこれを三十三歳の若さで執筆した事実に驚く。

【さいごに】

 著者の文章には、「反思」「反鎖」「反正」「但」などが多い。これらの言葉の前で、諸説や資料の尤もらしいことを並べて最頂点に持ち上げておき、「但」と自分独自の新見解を爆発させる。「但」の後に続く文を読む時、読者は諸説とともに頂上から急降下していくスリルを味わう。これは本当だ。是非、それを味わって戴きたい。
 第一巻扉にある著者の近影は、まさしく著者のありのままの姿を映しだしたすばらしいカラー写真だ。飾らず、権威付けず、人の話に真剣に耳を傾け、頭の中で吟味評価しながら、素直に驚き感動し、正と負のいずれの評価であれ自分の感じたこと考えたことを自然に語る、そんな著者の一面が見事に切り取られている。

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